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第2回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-015

1 :清き一票@名無しさん:2005/04/09(土) 11:06:14 ID:2FB+PCq9
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551 :6/14 無名武将@お腹せっぷく :2005/04/10(日) 10:33:45 ID:DR86HgOn
■三国志に由来する言葉 その五■    〜泣いて馬謖を斬る〜
時は西暦228年、蜀の建興6年、魏の太和2年のことである。
後漢王朝は滅び、天下は既に魏、呉、蜀の三つに分かれていた。
蜀の丞相諸葛亮、字を孔明は魏を攻める北伐を前年より開始し、順調な成果を挙げていた。
そんな時のことである。
ある時、孔明は愛弟子、馬謖(ばしょく)を戦場を任すことをした。
馬謖は孔明の親友の馬良の弟であり孔明は日頃より目を掛けていた人物であった。
だが、他にも優秀な候補はいたのである。何故馬謖に孔明は任せることにしたのか。
孔明は自分の次代の人物を育成し、ようやく使えるときが来たと思っていたのだろうか。
はたまた馬謖の熱望に押されたのか。
孔明はこの人選が最悪の結果を引き起こすと予想しただろうか。

馬謖が向かった戦場は街亭(がいてい)と呼ばれる土地であった。
この街亭は当時蜀軍が侵攻していた戦線でもアキレス腱と呼べる位置にあった。
この要地を守備するだけで馬謖は良かったのである。
「決して長安に攻めこむな」と孔明は念押しをしていたのだ。
しかし、馬謖はそれに逆らう行動に出たのだった。
山上に登り、敵軍が来たら逆落としにより一気呵成に撃退するという選択を取ったのである。
これは守りと言うよりはむしろ攻めの態勢と呼ぶべきであろう。
そして、この選択は重大な欠陥も含まれていた。

552 :7/14 無名武将@お腹せっぷく :2005/04/10(日) 10:34:11 ID:DR86HgOn
その山の上では兵達の生命線とも呼べる水の供給が一切できなかったのである。
山上に陣を布いた蜀兵達はふもとからわざわざ水を運んできていたのである。
これがどのような事態を引き起こすのか。・・・最悪な結果である。
馬謖はどういう気持でこのような行動に出たのだろうか。
自分は孔明に寵愛されているという驕りからか、
それとも、華々しい功を立てたいという功名心だったのだろうか。

魏の将軍、張〔合β〕(ちょうこう)は歴戦の将である。
赤壁の戦いと並ぶ、三国志上の一大決戦、官渡の戦いで曹操に降伏し、
その後約半世紀に渡り活躍した武将である。
その張〔合β〕が街亭を守る馬謖の元に向かっていた。

張〔合β〕はおそらくすぐに馬謖の布いた陣の欠陥がわかったのであろう。
着くなりふもとを急襲し蜀軍の水を断ったのであった。
これで蜀は水を得ることが出来なくなったのである。
人が水を飲まないでいられる限界は二、三日であるという。
水を断った後山を包囲した張〔合β〕により馬謖の陣は地獄と化した。
そして、最後の時を迎えたのである。


553 :8/14 無名武将@お腹せっぷく :2005/04/10(日) 10:34:39 ID:DR86HgOn
この張〔合β〕の攻めに耐えきれなくなった馬謖は逆落としで敵軍に打って出ることを決意する。
しかし、この攻めが成功するはずはなかった。既に兵は消耗しきり、まともに戦えなかったのである。
こうして馬謖軍は無惨に敗北することとなった。
幸い、孔明から馬謖のお守りを託され、この山上の陣とは別の所に布陣していた王平の手により、
馬謖らは一命を取り留めた。

しかし、この敗北は蜀軍の戦線全てに影響するものだったのである。
孔明は戦線の維持は不可能と見る。
諦めて撤退の準備を始めたのであった。馬謖の犯した罪は大きかった。

孔明は馬謖の行動を軍法に掛けることにした。
判決は死刑である。いくら寵愛していた愛弟子でも、守れと言うのを聞かずに攻めの態勢を取った
命令違反の罪は大きかった。
こうして、馬謖を孔明は斬ったのである。孔明の目には涙が浮かんでいたという。

これが泣いて馬謖を斬るの故事である。
信賞必罰の論理が孔明の鉄則だったのである。

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