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第2回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-019

1 :清き一票@名無しさん:2005/04/14(木) 18:47:01 ID:Nh/KkzKP
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329 :三国志・戦国板 支援物資1/4:2005/04/17(日) 19:41:57 ID:Z9LaCXOI
【亡国の臣列伝其の壱】   〜黄皓〜

 黄皓(こうこう)は蜀の後主・劉禅に仕えていた宦官(かんがん)である。黄皓は劉禅にへつらい、
うまく取り入ってもらえるようたちまわったが、董允(とういん)が生存しているうちは董允が黄皓を
とがめていたので悪事ができなかった。董允の死後、陳祇(ちんし)が侍中(じちゅう)となると、黄
皓は初めて政務に関わるようになった。

 陳祇の死後、黄皓は中常侍(ちゅうじょうじ)・奉車都尉(ほうしゃとい)に昇進し、権力を操って国
家を転覆するにいたる。姜維(きょうい)は黄皓の専横を憎んで劉禅に上奏し殺害しようとしたが、
劉禅は「黄皓は召使に過ぎず、董允と黄皓が仲が悪かったのを残念に思う」とするだけで取り合
わなかった。その後、姜維が功績を立てられないうちに黄皓は右大将軍の閻宇(えんう)と結託し、
姜維を廃し閻宇を立てようとした。そのため、姜維は危惧し二度と成都に帰還しなかったのである。

 また、263年に姜維が鍾会(しょうかい)の進攻を恐れ援軍を要請したときも、鬼神や巫女の言葉
を信じ劉禅に取り合わないよう進言した。その後蜀が滅亡した後、トウ艾(とうがい)は黄皓を捕らえ
殺害しようとしたが、黄皓はトウ艾の側近に賄賂を贈ることで死を免れている。なお、演義ではこの
後劉禅とともに洛陽に赴いた際に、司馬昭に断罪され惨殺されたとなっている。

 2ch的には姜維の北伐をやめさせ、国力の回復に努めようとさせた名臣であるという意見もある。

330 :三国志・戦国板 支援物資2/4:2005/04/17(日) 19:42:52 ID:Z9LaCXOI
【亡国の臣列伝其の弐】   〜岑昏〜

岑昏(しんこん)は呉の後主・孫晧(そんこう)に仕えていた武将である。
岑昏は孫晧にへつらい、うまく取り入ってもらえるように立ち回っていた。
岑昏は土木工事を好み、民衆を労役に駆り出したため、民衆の心を孫晧から離れさせることとなった。
280年、殿中の側近数百人が孫晧に岑昏を殺すように請うたため、孫晧は岑昏を処刑した。
なお、演義では岑昏は宦官となっているが、正史ではそういった記述はない。
演義では悪事の限りを尽くしており、気に入らない奴は片っ端から惨殺している。
また、川に鉄索を敷いて晋の侵攻を防ぐよう献策したが、その罠はあっさりと破られている。
その死も壮絶なもので、晋軍に攻められ混乱している中呉の臣下に惨殺され、生肉まで食らわれてしまっている。

331 :三国志・戦国板 支援物資3/4:2005/04/17(日) 19:43:29 ID:Z9LaCXOI
【亡国の臣列伝其の参】   〜何進(カシン)と十常侍(ジュウジョウジ)〜

 何進は帝の外戚、十常侍とは後漢末、政を腐敗させた宦官たちのことである。
 
 当時は霊帝の時代、肉屋の何進という者が、妹が帝に寵愛を受けて弁皇子を生み皇后
(何皇后)となったことにより大将軍に任命されていた。十常侍の一人蹇碩(ケンセキ)はこの
何進と仲が悪く、霊帝没後、王美人と霊帝の間に生まれた子劉協(のちの献帝)を帝にた
てようとする蹇碩ら十常侍と自分の甥弁皇子をたてようとする何進が対立した。

 このときは蹇碩が殺され弁皇子が帝位につくことになったが、何皇后が宦官にまるめこ
まれたため一時的に騒動は鎮まった。しかし何進は袁紹らと宦官誅滅を謀り、諸国の軍閥
を召集する。その中には野心家の董卓も含まれていた。しかし何進は宦官におびき出され
て参内中に殺害されてしまう。これに憤った袁紹が宮中に殴り込みをかけ、宦官を皆殺し
にした。ヒゲがなかったばかりに宦官と間違われて殺されるというくらい壮絶な殺戮劇だっ
たという。何進と宦官は共倒れとなった。

 十常侍の一人段珪(ダンケイ)(三国志演義では張譲)は帝を連れ出し逃げるが、無責任に
も自殺。このとき帝を拾い上げて都に堂々と入ったのが、悪役の真打、董卓である。

332 :三国志・戦国板 支援物資4/4:2005/04/17(日) 19:44:43 ID:Z9LaCXOI
【閑話休題】   〜董卓の意外な一面〜

演義では悪逆の限りを尽くしている董卓であるが、
正史を紐解いてみると意外な一面を持っていることが分かる。
董卓は羌族の顔役たちと交わりがあり、顔役のうちで董卓を訪ねてきた者があると、
耕牛を殺して宴会を催した。
顔役たちは感動し、国へ帰った後家畜類を千頭あまり集め董卓に贈った。
また、軍の司馬となり張奐の并州征伐に付き従って戦功をあげ郎中に任命されたときに
[糸兼]九千匹を恩賞として賜ると、董卓はそれを全て部下に与えた。
このように董卓は部下を思いやることができる名君といえることもできるのである。
実際のところ董卓の悪逆非道ぶりは反董卓連合が結成されてから増加しており、
董卓はこの反乱に反発して暴虐になったということもできるのである。

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